プロレスキャノンボール
2014年の最高傑作はテレクラキャノンボール。
テレクラキャノンボールはAVだ。
AV監督6人が目的地を目指して車で爆走し、到着した順にポイントが与えられるRUNステージ、
経由地とゴールで素人とセックス、その人数と内容でポイントが加算されるSEXステージ。
この2つのステージの合計得点が1番高かった者が、マスコットガール(現役AV女優)とセックスができる。
わたしはテレクラキャノンボールを、去年2月、渋谷の映画館で深夜3時に観た。
終電で渋谷に行き、ガストで時間が過ぎるのをひたすら待った。
AVを見るために。
阿呆である。
しかし、見終わった頃には冒頭の思い。
深夜3時に映画館で観たテレクラキャノンボールは、完璧だった。
AVを見て、100人近いお客さんと一緒にゲラゲラ笑う。
朝5時に「ヤルかヤラナイかの人生なら、俺はヤル人生を選ぶ」と突きつけられ、人生を省みる。
自分は逃げてなかっただろうか。やるべきことをきちんとやってきたのだろうか、と。
AVを大勢で見る、そして笑う、その非日常感と、
その非日常をくぐり抜けたあとに待ち受けていた禅問答のような世界。
そんなことを私はテレクラキャノンボールから受け取った。
そして、2015年2月、インディープロレス団体DDTが満を持して公開した、「劇場版 プロレスキャノンボール」である。
2月の公開にはタイミングが合わず行けなかったが、「テレキャノ」と同じように、
絶対にまた東京で公開するだろうと思い、虎視眈々と待ち構えていた。
そして6月、本当にポレポレ東中野で公開されたので、私もついにプロレスキャノンボールの観賞にこぎつけた。
「テレクラキャノンボール」の監督はAV界の鬼才・カンパニー松尾だが、
坂井精機という新潟にある一企業の社長、兼プロレスラーである。
彼もまた、一癖も二癖もある男だ。
彼は社長であり、プロレスラーであり、映像マン。
そして、大喜利もできる。彼の友人だというスーパーササダンゴマシンは、煽りパワーポイントで去年からブレイクした。
マッスル坂井は、いま日本人史上最高にイイ男なのだ(既婚者なのが唯一残念)。
色々と前置きが長くなってしまったが、
「プロレスキャノンボール」は、本家「テレキャノ」のRUNステージ形式は継承。
SEXステージは「プロキャノ」ではWRESTLEステージとなり、プロレスの試合をした人数そして試合内容によってポイントが加算される。
DDTおよび、DDT系列の団体「ガンバレ☆プロレス」の中から結成された4チームで競い合う。
ポレポレ東中野での公開は、とりあえず明日で終わってしまうので、もうとにかく見ていない人は早く観に行ってほしいのだが、
「プロキャノ」のスゴさは、「エンターテイメントとは何か」を突きつけられるところだ。
キャノンボール特有の疾走感はプロキャノに関してはほぼ皆無である。
しかし、「テレキャノ」と「プロキャノ」で大きく違うところは、
「テレキャノ」の相手は素人女子、どこまで面白く調理できるかが未知数な相手なのに対して、
プロキャノの相手は(ほとんど)プロレスラー。
相手も“面白いを作り出す”ことを考えている人間であることだ。
どうしたらワクワクする、どうしたらドキドキする、どうしたら目の前のお客さん、もしくは将来画面で見てくれる人たちが喜んでくれる?
計らずともプロキャノは、「エンターテインメントを作り上げていく」それが肝となる作りとなった。
初日の反省会でHARASHIMA選手が、ポイント稼ぎに走った選手に向かって、
「自分たちはいいよ、ポイント稼ぎしてれば」「俺らは面白いもの撮るから」と言うシーンがある(セリフはうろ覚え)。
そこで、プロキャノの方向性が定まる。
それはプロキャノという枠内だけの話ではなく、プロレスラーの試合に通ずるものだ。
選手が勝ったら嬉しい。選手ももちろん勝とうと試合に臨む。
しかし、勝ちがすべてではない。
笑えるか、心に残るか、それこそがプロレスの真骨頂であり、全プロレスラーが目指すところではないか。
プロレスはスポーツである前にエンターテインメントだ。
プロレスラーはアスリートである前にエンターテイナーだ。
地位も名誉もお金も関係ない。
「面白いことが正義」
「アツいことが正義」
「プロレスキャノンボール」はそんなことを感じさせてくれる、青春ロードムービーだった。
今日は雨が降って寒いから、「プロレスキャノンボール」でせめて心を滾らせるのも良いのではないだろうか。