つかもとブログ

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仕事をできるように見せる人

 社会人になって、もうすぐ丸5年。
その間に、毎日暴言を吐かれた時期もあったし、会社に行けなくなったこともあったし、自分の父親くらいの年齢の上司に土下座もした。
 そんな悲惨(たぶん、世間的には悲惨だろう)な社会人生活を過ごし、先日転職をした。転職する気はさらさらなかった。ただ、目の前に転がってきたチャンスを、自分のものにした。いや、ものにしてしまった、という言い方が正しいのだと思う。とにかく、まさに“棚からぼた餅”、人生の転機というのは、こうしてやってくるものだと身をもって知ったのである。

 転職して良かったことは、大きく分けて2つある。
 1つは、仕事が楽しくなったこと。仕事には楽しい面があるということに、5年働いて初めて気がついた。  日々、自分の中にある思いや希望を、具体的に、時に抽象的にアウトプットしている。これが、楽しいのだけれど、意外と大変。自分の心が枯渇するのではないか、という恐怖が少なからず付き纏う。前の会社にいた頃、「本やテレビや映画や音楽、何でもいいからよく見るようにしなさい」と口酸っぱく言われていた意味が、ここに来て分かった。アウトプットするというのは、自分との闘いなのだ。
 そして、もう1つ良かったのは、自分の働き方を反省して、活かすことができていることだ。「働く」という字は、「人が動く」と書く。人が動いているのだ。自分の思い通りになんていかないし、それでも、人と一緒に進めていかなくてはいけない。それが「働く」ということ。そのことを強く意識できるようになった。

 今、わたしの周りに、仕事をできるように見せようとしている人がいる。見栄を張ったり、知ったかぶりをしたり、見ていて非常に痛々しい。そう思ってしまうのはなぜか。その姿は、昔の自分のようだからである。
 5年間、社会人をやって、確信を持った事実がある。「仕事をできるように見せる人に、仕事ができる人はいない」。なぜ彼らは、「仕事をできるように見せてしまうのか」。それは、誰からも「仕事ができる」と思ってもらえていないことに、自分自身が薄々気がついているからだ。自分ではできているつもりでも、他人はそう見ていない。そのギャップを埋めるために、自分から「できます」感を出してしまうのだ。

 しかし、今なら分かる。仕事ができる人は、そんな浅はかなことはしないのだ。その理由は2つあるとわたしは考える。
 1つ目は、自分にとっての得を考えていないから。仕事の結果は、自分に返ってくるべきものではない。まず会社組織に返ってくるものだ。会社に利益が出て初めて、その結果は、自分の評価にも繋がる。自分が自分が、となってしまうと、どうしても視野は狭くなる。広い視点で、会社にとっての得を考えることが、そこに所属するものの仕事なのだ。
 2つ目は、「仕事をできるように見せる」ことは、とてもリスキーだと分かっているから。最初は、「あの人は仕事ができそうだ」と周囲も期待するだろう。しかし、上がったハードルは、簡単に下がっていく。周りはそんなにバカではない。周囲の考えていることと違うことを1つする度に、「期待外れ」のレッテルを貼られていく。
 それならば、最初から「できる人」に見せる必要なんてない。学生時代に、ヤンキーがちょっと良いことをすると、評価がうなぎ上りになった、あの法則を利用した方が賢いのである。

 先月は、結婚について書いた。今月は仕事。27歳は、思っていた以上に、考えさせられることが多い。考えすぎて、自分の人生において絶対に見ないだろうと思っていた、『セックス・アンド・ザ・シティ』はもうシーズン3まで突入してしまった(これが意外と参考になるのだ)。

 来月は何に頭を悩ませることになるのだろうか。その時にもまだ『SATC』のキャリー、ミランダ、シャーロット、サマンサにお世話になっているのだろうか。27歳は始まったばかりだ……