つかもとブログ

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友人のこと

友人が亡くなりました。

 

訃報の連絡を受けたのは昨日の昼。

彼女の番号から着信がありました。

今週の日曜日に会う約束をしていたので、

「ドタキャンかしら、珍しい」と思いながら電話に出ると、

電話から聞こえてきたのは男性の声、彼女のお兄さんでした。

中学生の頃、彼女の家に泊まりに行った以来、10年ぶりに聞くお兄さんの声は、当時の印象と幾分か違い、10年という月日の長さを感じさせました。

 

彼女は5〜6年前から精神的に不安定な生活を送っていました。

わたしは彼女にそれを告げられたその日から、ほんの僅かばかりですが、覚悟をしてきました。

彼女は地元にいるため、会うのは1年に3〜4回でしたが、急に痩せていった時期もありました。

心臓が締め付けられるような思いをしながら、彼女に会い続けました。

 

それはやはり、彼女に会いたかったからです。

それ以外のなにものでもない。

 

彼女はとても真っ直ぐな人で、いつも正しい道を進もうとしていました。

間違える自分が許せない、そんな厳しい美意識も垣間見えました。

わたしのような、行き当たりばったりふにゃふにゃ軟弱女に、なぜ彼女は会おうとするのか、話そうとするのか、いつも不思議で、そして今日、それは謎のまま、わたしは彼女と別れなければなりません。

 

昨晩、実家に帰る最終の新幹線の中、わたしは彼女との関係について考えていました。

職場の上司には「わたしの人生で1番付き合いの長い、家族ぐるみで交流もあった親友」と伝えて出てきましたが、なんとなく腑に落ちませんでした。

仲が良くなったきっかけも、もう記憶は遥か忘却の彼方。

特にどこかに遊びに行くわけでもなく、駅前に集合して、喋ったり、黙ったり、一緒に歩いたり、理解できる話をしたり、理解のできない話をしたり(彼女が好きなフェルメールの話はわたしには難しかったし、彼女もきっとわたしのオタクな趣味については何も理解していなかった)、それでも彼女といる時間は、ほかの誰といる時とも違う、安堵感や幸福感を与えてくれていました。

 

生まれも育ちも違う、けれども、同胞のような存在だったのかもしれません。

 

 

地元に帰ってきても彼女に会うことができない、ということを、わたしの頭ではいつ理解し、実感できるようになるのか、途方もない時間がかかるような気もしています。

出会った当初、彼女が「1年くらい好きだった人を忘れられない」と打ち明けてきたことがありました。

当時わたしは、恋愛のれの字も分からないおたんこなすび娘だったのですが、そこは一丁前に「好きだった時間と同じくらい、忘れていくには時間がかかるんだよ」と彼女を諭しました。

青臭いけれど、それは真理だったのかもしれません。

 

 

誰かも分からない人のことを、不特定多数の人が読める媒体に書くことを不愉快に思う人もいるでしょう。

わたしの思いなんて、今晩、彼女の顔を見て伝えたらいいわけです。

 

 

だけど、わたしは怖いのです。

今、もし、この瞬間、わたし自身がこの世からいなくなったら、彼女のことを大事に思ってきたこの気持ちも、先に逝かれてしまったやりきれない思いも、何も残りません。

彼女の弱さや、でも気位の高いところや、一生懸命生きることをまっとうしていた彼女の姿は、もっとたくさんの人に見ていてもらいたかった。

 

本当にそれが悔しい。

 

 

彼女が生きていたことは、絶対にどこかに記しておかなければいけない、と思って書きました。

もしかしたら、間違っているかもしれません。

こんなの読まされても気分が落ち込むだけ。そうかもしれません。

人が亡くなった話なんて、触れない方が色々な物事や友人関係を進める上で得策かもしれません。

 

だけど、無視できるような人ではありませんでした。

これからもわたしは生きるしかないけれど、これからを過ごしていく、指針を1つ失いました。

それくらい彼女はすごくて、大好きな人でした。

 

 

ここまで書いてみて、やっぱり辛いけれど、明日には収録があるし、ずっとメソメソしているわけにはいきません。

彼女の真っ直ぐさに恥じないように、地に足をつけて、生きていこうと思います。

 

 

あなたの友人でいられたことは、わたしの生涯の誇りです。